消費者自給農場を持つ『たまごの会』   

30年前札幌で、たまごの会の記録映画『不安な質問』の上映会があった。200世帯の消費者が自給農場を持ち、自主配送する。たまごだけでなく、豚の飼育も行われ、まるごといのちを頂くことをこどもたちを含めて体験していく。岩波映画の松川八洲雄が『不安な質問』1979年(85分)消費者自給農場『たまごの会』の記録映画を撮る。<茨城県八郷町(現石岡市)に消費者が自分たちで農場を建設、 作り運 び食べることで、 日本の農を、食べる事を、問う。>というものだ。http://art.edu.ibaraki.ac.jp/design/eiga.html 会員それぞれの活動は『たまご革命』三一書房に詳しい。
この映画の上映を企画した人たちから、無農薬、低農薬野菜の八百屋『夢屋』や後『生活クラブ生協』になる、さっぽろ『たまごの会』が産まれていった。北海道での安心安全を牽引することになる。
私たちは、石狩町の教育委員会の助成を受けて、石狩でたまごの会の記録映画『不安な質問」の上映会を行う。お母さんとこどもたち、「若葉会館」がびっしりになる。しかし、『たまごの会』はこの記録映画を撮ったころから、運動としての方向性の違いから、それぞれに分かれていく。だが、全国でこの映画が人々の胸に降り、いくつもの消費者運動グループを産んで行く。

この頃、私たちは新冠の『ユートピア牧場』から平飼いの有精卵の共同購入を始める。花川の住宅地と札幌の仕事場を拠点とした必要とする人たちが結合する方式をとった。『ユートピア牧場』は北大の山スキー部の人たちが水谷先生を中心に日高、新冠で開拓農家10数戸の離農地を購入して自然の中での暮らしを享受する、『ユートピア牧場ロッジ』と牛と鶏、たまごの生産加工をする『ユートピア牧場』の2本立てだった。1口30万の会費で成り立っていたがオイルショックが経営の悪化を招き、会費自体の償還も重なって苦境に陥っていった。現在は経営組織ともに形態は変わったが、場長の向井さんが『新生ユートピア牧場』を運営している。

ユートピアのたまごと共に、1歳半で廃鶏になる鶏も月2回の自主配送に併せて食べる。丸鳥でくる鶏も、無水鍋や圧力鍋で柔らかな鶏肉になった。
その後、『食を考える会』を母体にして私たちは、子豚の抗生物質を1/3にする委託養豚に取り組む。1頭買い50キロの、全ての部位を食べる条件で。この豚は放し飼いで、丘陵地に小さな豚舎があって、雨風をしのげるようになっていた。しかし、父さん豚は大きくて、突進してくるとすごい迫力。地域で分け合って委託養豚は楽しいものだったが、屠場の統廃合で、持ち込んだ個体の識別が出来なくなった。