1992年1月 浦河町姉茶生活館/3歳の長男と参加する

北海道新聞アイヌ文化を学び、自ら行動する『ヤイユーカラの森』が紹介された。2泊3日、浦河町姉茶生活館は馬産地である牧場地域の中にあった。
成田得平さん、計良智子、計良光範さん等が中心で、始めての会には、成田得平さんたちの春採アイヌ、浦河のアイヌ、九州から筑豊のシサムの会、大阪、東京、札幌、そして私たちのような一般参加。始めてあった者同士ながら、お互いにそれぞれの足場の話から、ここにいるのは何故なのかを自問しながらの話になった。ヤイユーカラで頂く食べ物はマジおいしい。浦河町姉茶生活館では遠山サキさんのお料理だったが、コンブシト、ニリンソウと鹿のオハウ、カボチャとシコロのラタシケプ、ヒヨコ豆とモチキビのサヨ、プクサ、、、など、、
2日目は鹿狩りだったが、河原で食事の用意。その間に町まで買い物にでたのだが、3歳の長男には言わずに出たので、帰ると泣いていて元気な記者さんが面倒をみてくれていた。連れて行けば良かったのに、、ごめん。その後河原で食べた鹿とニリンソウのオハウはうまい!夜は春採アイヌ、浦河のアイヌとお互いに踊りや歌の会になった。トラさんと呼んでいた地元の名ハンターは踊りも名手だったが、当日猟に参加した仲間が、『前の日もこんなことしてるなら、猟が出来るはずが無い』と大笑い。途中で織田ステノおばあさんが来て、無言だったが、遠山サキさんが歌い皆でリムセを踊った最後まで見つめていてくれた。


それから、10年間我が家では、参加できるメンバーが子ども3人だったり、私も参加したり。春の静内山菜採り、夏の美々川キャンプ、冬の浦河、白糠、阿寒町上徹別での鹿狩り。アイヌ刺繍。
なによりも、鹿狩りは子ども一人で参加して、狩りをすること、雪原を走り回って得る食べ物、恵みに感謝すること、その場で解体し、分け合うこと、多くを得て帰って来たものだった。小学校を卒業して春休みに阿寒町上徹別での鹿狩りに参加した一番下の子は暫く鹿狩りの話が尽きなかった。


10年も参加していたが、ゆっくり話す機会がなかったかなと思う。計良智子さんたちにとってもアイヌ文化を手探りで確かめ、構築していく時期だったのだと。後に母方の姓になった秋辺得平さんらはアイヌの海洋船-イタオマチプを再現する。1本の木からどうしたら刳り貫けるのか、思考錯誤を繰り返し、あ!気がついたのだった。火でおよそを刳り貫くこと。

http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/keira1.html



計良さんの所は子どもが2人、我が家は3人でじぐざぐに重なっている。
何年か前、子どもたちが大学になって『ヤイユーカラの森』とも疎遠になっていたが、デパ地下でばったり計良智子さんに逢う。すっかり体格の良くなった二人が抱き合ってしまった。懐かしい!お互いに子どもたちの近況を、どうしてる?うん、、、通路を塞いで長話になってしまった。