ようよう阿多泥にあいまみえし。

『山形に 蒔きし あたね春(つ)き 染木が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装い、、、、、』『古事記』倉野憲司校注 岩波文庫



出雲の大国主が纏った阿多泥の染木が汁で染めた染め衣がどのようなものか気になっていた。
国文学者は染木を染料液の材料とみなし阿多泥が見いだせないで来た。


Webのこのような時代であれば染木は板締め技法であろう。
阿多泥<スエーデンカブ>の紫と黄から、勝手に茶<天皇の色>か朱<皇太子の色>ではないかと思ってきたのだが。

この阿多泥染めの色を知る事は年来の願いだった。


山崎和樹『草木染』でハルジオンの黄無媒染/ミョウバン媒染/灰汁媒染
をやってみた。美しいという色にはならない。染めは繰り返し染めて思いの色へと辿る難しい道だった。





NHKスペシャル/クニ子おばばと不思議の森/2011年9月25日で焼き畑が紹介されている。
この焼き畑はアイヌの焼き畑と逆のかたちになっていたが作物の植え付け収穫に関して興味深い。


阿多泥は焼き畑で作られ連作出来ない作物だった。
我が家の阿多泥も1年目が一番大きく15センチほどの立派な甘いカブがたくさんできた。
その後は小さくなって、今年はほんの数本堆肥の端で育っていた。



2010.12.5日 白山市白峰で出会った阿多泥。蝦夷かぶらと呼ばれていた。


2010.6月 越冬した阿多泥。(北海道)



意を決して阿多泥の生絞り汁に浸けた。白
藍は灰汁媒染するし、大島紬も灰汁媒染するので
灰汁阿多泥で浸し染め。 白




藍のように発酵させるとどうなるかは
もう少し時間がかかる。



そして、白であったならば全てが解けてゆく。
神話時代の神々の衣装はそう、白だった。

出雲大社にお参りする方が着けていた衣も白。



運動会の紅白のはちまきの白みたいな白でした。


私は染めの技法の練習のつもりだったので
晒を染めたのだった。


大国主の纏った衣が染木を使った絞り染めの阿多泥染めだったのかは多分出雲大社の記録に残っていると考えている。
60年ごとに遷宮を行なっているのだから。
2012.4.15訪れた神祜殿で特別展が開かれていて宮司家<千家>に伝わる平安末期の「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」はみごとだった。