石川啄木の母校
明治17年に村民の寄附により旧渋民村愛宕神社脇に建設された旧渋民尋常高等小学校。
移築された石川啄木の母校は
質素な荒削りな木材でできていたが、シンプルで力強いデザインだった。
いろりは2つ、オルガンも大きかった。
青函フェリーで帰路につく。
長旅の後ふと北海道に帰ったときにどんな気持ちになるか不安がよぎる。
しかし、木々も芽吹かず荒涼とした道を走るとわああああっ北海道だと不思議な元気がわき起こる。
ここは故郷。
旅の終わりに大沼による。
あちこちにカメラを構えたおじさんたちがいる。なにを待っているのかと思うと蒸気機関車が来るのだそうだ。
大きな撮り鉄おじさんの前で撮らせてもらったがここは沼と蒸気機関車が写るただ一つのポイントと言う事だった。
駒ヶ岳も大沼も美しかった。