出雲大社はおおらかだった。



                 出雲大社参道


豊岡を過ぎてからの私の旅はすっかり現実に引き戻されてしまった。非日常の旅の糸は切れ出雲に入った。豊岡が都市から地方への分岐点だった。

出雲大社は開放的な空間だった。私は出雲大社脇の緑に囲まれた駐車場に車を止めたのでそこから直ぐに境内に入った。池の傍では傘をさして前撮りの撮影が行われていた。

出雲大社は60年ぶりに平成25年の平成の大遷宮を控え御仮殿(拝殿)での参拝。平成20年から平成25年5月までは御神体は御本殿から御仮殿に遷されていた!参拝者10人ほどにガイドが付いて次々に通り過ぎて行く。













どのような方々かは解らないが半袈裟の方もいて、神職が対応されるようであった。













神祜殿で特別展が開かれていて宮司家<千家>に伝わる平安末期の「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」が公開されていた。20センチほどの巻物で細かな字で柱の構造が見事に書き留められていた。彩色も鮮明だった。http://www.izumooyashiro.or.jp/kanawakoukai.html
近世の模写と言うものが正しく同じではあるが稚拙に感ずる本物の圧巻だった。

御神体が西向きの大社造りは海に面しているということは古来から出雲の地が交易港として重要であったことを現している。日御碕の方から見た出雲大社の屋根が48メートルの高さで浮かび上がっているならば屋根の面積の大きさからいっても納得がいく。

準備不足もあって阿多泥に関する知見は得られなかった。神紋は宮司家の紋を神紋にしていてそれ以前は有のあるものだったという。









http://www.kankou-shimane.com/mag/12/01/haikan.html