水の郷100選 北海道 喜茂別町は1996年に選定されている。

広報きもべつ 2008年2月号/比羅岡地区の水源利用の歴史背景。によれば

比羅岡地区では、昭和34年から地区の住民が利用組合を作り、羊蹄山麓の湧水地に自前で水道施設を設置し水を引いていました。その後。地域住民自身による補強工事にもかかわらず老朽化が進んだことから、昭和62年には町が比羅岡地区飲料水供給施設を建設しています。この時点では、利用組合が当初から使用していた水源と配管等施設を町も利用することと関連して、水道料金について様々な議論もありました。その後市街地区で水の需要が増加し新な給水施設が必要となったため、平成2年から5年にかけて町が比羅岡地区の水源から市街地まで簡易水道を引くこととなり、比羅岡地区飲料水供給施設とは別に配管を設置するなどの工事を行ないました。
「もともと自分たちが引いていた水は湧水そのままなの塩素殺菌の必要もない清潔でおいしい水だったし、ホワイトアスパラの生産にとって豊富な湧水は品質を保つ上で重要なことだった。それが水道の水になったことで、量的にも質的にも事実上制約されることになった。」

喜茂別町字比羅岡では公共の水道施設以前に自前で地域住民が湧水地を見つけ水を引いてきた。ホワイトアスパラの出荷までの品質保持には湧水に浸けられる。ホワイトアスパラ栽培発祥の地を支えてきたのが湧水だった。


私のところの水道水もこの比羅岡地区の水を使っていた。そのおいしいことは自慢でもあってこの水道水を市販したいとも思っていた。



             この道の1キロほど先で水道管が破断した。




ところが、2011.9月末蛇口を開くと泥水が出た。流し続けても変わることはなく、そのうちに地域の水道管を側溝の掃除を受託していた丸協建設林業さんが重機で1堀した時に破断したのだと連絡が来た。この側溝に地域の水道管が敷設されているので注意するようにと地元からは知らされていたということだが、こんなに上にあるとは思わなかったのだとか。






喜茂別役場から職員が来てくれたが当時の建物の記録はあったが水道管の敷設図が見つからずなかなか水を止めることができない。



何カ所か試掘してやはりというか水道水の出ている場所に一番近いところから水道管を探し当てて修復作業を開始した。



修復までは何日かかかり、役場からは水が各家庭に配布された。羊蹄周辺は湧水が豊富である。北海道道66号岩内洞爺線ニセコに向かう途中に道立羊蹄青少年の森に分岐する地点がある。その隣の真狩村の農園ではその湧水を一般に解放していたので私は貰い水に通うことにした。やはりおいしい。札幌から来る方もあればこの道を通るときはいつも立ち寄るという常連も多い。




            真狩村 横山農園


喜茂別町広報にもあるようにこの比羅岡地区には地域の水道と公共の水道の2本が敷設されていて、この教員住宅は地域の水道が使われていた。修復の際公共の水道に合わせて切り替える工事も行なわれた。

結果は以外な事体になった。みどり色の水道水がでるようになったことと、味が市販したいと思う程だったものがぐんと落ちたのだ。検査もして貰ったのだが問題はないとの回答だった。

毎日飲んでいるものなので合点が行かないことだった。

以来我が家の飲料水はアマゾンから購入している。



公共の施設ができる前に地域が自力で敷設してきた水とは
なんて素敵だろうか。
この水の水利権を取る為に町に当時は大金だったお金も預けていた時期もあったという
かなりの話題力のある湧水だった。

しかも、大金だった水利権をとるためのお金も地域の共同作業例えば
川の草刈りなどで積み立ててきたものだった。



             2014.8.30/河川愛護組合草刈り

いまでも比羅夫神社の秋祭りの日には河川愛護組合の草刈りを行なっている。

水利権を取って居ればと話がでるほどだが、所以は定かではないが水利権は取得されず
あとからお金は返金されたようだ。



そのような経緯の為に喜茂別町では比羅岡地区の水道料金は他の地域のような料金体系になってはいない。
基本料金のみで使用量による加算がされていない。そのことに関する評価があってしかるべきかと考えている。

地方創生担当相の仕事とは何ぞや?と考えるとまずは実態の把握がいる。


ありとあらゆることに課題がある。
ひとものしごと


それがどのように動いているのかを国が把握できているか?

国の役人を地方に出すことなんぞさして意味はない。
少々すれたお役人ができるくらいのことだ。


地方創生担当相の仕事とは何ぞや?
安倍さんお答えいただけるか?