姫路から豊岡/鳥取
生野義挙の志士を祀る山口護国神社
山口護国神社の謂れを読み、西園寺公望が揮毫しているのが気になったが先を急いでいて出雲に向う。
<オリジナルサイズ表示にすると『生野義挙志士殉難之地』が読める。>
しかし、この道が京都府宮津市までだったのが誤算で鳥取行きは迷路のように養父市豊岡市辺りを廻る事になった。夜しかも雨になった。豊岡市はかっての町並みにも手が入っていたが郊外には大型店が雑多な感じで建っていた。この町で人々の暮らしぶりに北海道のような様相を感ずる。斜め止めして遠目のライトを灯した車があちこちにいる。都市部では目立たない。大阪にもいたが彼らはなにかを感じて一瞬にして移動した。
豊岡市を帰ってからwebで引いてみると、生野へも繋がりまた出雲とも関わりのある町であった。<豊岡市は、平成17年4月1日、兵庫県の北東部に位置する1市5町(豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町)が合併してできたまち。>とある。http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1116570563625/index.html
但馬一の宮は豊岡市出石町宮内にある出石神社/祭神は天日槍命 出石八前大神<
『古事記』や『日本書紀』によれば、祭神の天日槍命は新羅の王子であったが、八種の神宝を持って渡来し、但馬国に定住したと伝える。http://ja.wikipedia.org/wiki/出石神社>
また、<『播磨国風土記』には神として登場する>天日槍(アメノヒボコ)が<但馬出石に退くことになったとしている。>
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメノヒボコによれば
豊岡市日高町祢布には 但馬国府・国分寺館がある。<天平13年(741)に聖武天皇が建てさせた但馬国分寺や、延暦23年(804)に移転をした但馬国府跡( 祢布ヶ森遺跡)など、但馬の中でも多くの歴史遺産が眠る地域として知られてき>たと『博物館について』は記している。http://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/top.html