菊理姫神(ククリヒメ)の領界-留産橋


              喜茂別町比羅岡



阿多泥に導かれて白山に至る。
web上で阿多泥を探してみる、、、、出雲の国を譲った大国主命の纏った染め衣を染めた阿多泥がどこかに残っていないかと?
焼き畑を辿ってゆくと白山山麓の焼き畑に出会う。江戸期に先代カブラと呼ばれるが、白山山麓の焼き畑は昭和20年代後半まで行われ一時途絶えていたのだそうだがいま、山の斜面での出作り地で焼き畑が行われ、シコクビエ、スエーデンカブ(阿多泥)が作られる。阿多泥は今風にスエーデンカブと呼ばれている。アイヌの人たちも白山から種を分けて貰って阿多泥の固定を試みている。幕末蝦夷地を調査した松浦武四郎によって『ラタ子』と記録されている。

石川県白山市/福井県勝山市/岐阜県郡上市 が『霊峰白山と山麓の文化的景観 』の『世界遺産』への登録を目指している。

『霊峰白山と山麓の文化的景観 』
http://www.city.hakusan.lg.jp/kyouiku/rekisi/sekaiisan/bunkaisan-teiansyo.jsp
http://www.city.hakusan.lg.jp/mpsdata/web/4114/1-1concept.pdf
24 白山麓出作りと真宗道場等の景観/ 焼き畑/スエーデンカブ
http://www.city.hakusan.lg.jp/mpsdata/web/4114/2-2-2photo-kurashi.pdf
白山焼畑土壌の肥沃度
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000044748



霊峰白山の主祭神菊理姫神

霊峰白山の主祭神菊理姫神(ククリヒメ)という。『日本書記』の一書に登場し、白山神社由緒には<伊邪那岐伊邪那美の夫婦の神様がけんかをしたときにお二人の間に入って、仲を取り持ったという神様>と伝えている。

日本書紀』のこのくだりを読むと、黄泉の国まで追いいでます伊弉諾の尊と『族(うから)や、吾をな看そなはしそ』と伊弉冉の尊。
黄泉の国にあるものとして、もはやここを去ることはない伊弉冉の尊との、最後のやり取りは次のようなものである。

また、その妹と泉平坂に相闘はしし時に伊弉諾の尊のりたまわく『始に族が為に悲しみ、また思哀びつらくは、吾が怯きなりけり』とのたまう。時に泉守道者白して云はく『言あれ』ともをせばのりたまはく、『吾、汝と己に国を生みき。奈何とかもまた生ままく求はめや。吾はこの国に留りて共に去ぬべくもあらじ』とのたまう。この時、菊理姫の神も白す言あり。伊弉諾の尊聞かして善めたまひて、散去けましき。ただみづから泉国を見そなはしし事、こは既に祥からず。、、、、、、

          日本古典全書『日本書紀一』巻の第一 神代の上 武田祐吉校注 朝日新聞社
                             

折口 信夫はこの時、菊理姫は禊ぎを進めたと解している。さらには、伊弉冉の尊近くでお使えすると言ったのではないだろうか?
『始に族が為に悲しみ、また思哀びつらく』黄泉の国まで追いいでます伊弉諾の尊が伊弉冉の尊との別れには、自らを清めるだけではなく、伊弉冉の尊への思いを断ち切れるものが必要だったと思うのである。その後、伊弉冉の尊は黄泉国の主宰神となる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/イザナミ
http://www.niigatahakusanjinja.or.jp/yuisho/index.html






       


       




菊理姫神の領界/喜茂別町-留産橋1


真狩方面へと抜ける町道と京極への国道276号線が交差するあたりに喜茂別町-留産橋がある。
左手に尻別岳、正面に羊蹄山をみることができる。山蝉といきあう地点でもある。
随分前になるが、喜茂別町比羅岡では北海道新聞の夕刊は翌日朝刊と一諸に届けられるのだが、
2008年6月17日の夕刊は『宮崎死刑囚に刑執行』の見出しで、88-89の幼女連続誘拐殺人犯の
処刑が報じられた。20年の歳月を思いこの写真をみたのだった。この日通勤のため私は留産橋
の手前の十字路で赤信号で止まった。青の信号にも関わらず1台の車が止まったままで不思議だったのだが、信号が変わり私が発進すると、その車は赤信号で侵入して、私の前をゆっくりと進んで行く。助手席の窓は開けられて無表情=まったく動かない/さっき見た新聞の写真そのままの宮崎勤ではないか?



あれほど残忍に幼女を殺した宮崎は薬物での処刑を望んだという。母親も任せたということなので立ち会ってはいないのだろう。どの段階かですり替わることが起きているのだろうか?



宮崎は最後まで自分を英雄視していたと言われる。
その背景に迫ることが必要であった。
宮崎がすり替わってこの世界/黄泉の国から出てしまったのであれば、ククリヒメよ!
汝の仕事ではないか!



黄泉の国へ行かず、すり替わってこの世界へ出できた宮崎はどこにいるのだろうか?




菊理姫神の領界/喜茂別町-留産橋2

宮崎のことが気になりつつ思い出させることになったのは、今年になってからだ。
http://d.hatena.ne.jp/kokoro2324/20091004
留産橋を渡り喜茂別町市街へと交差するT字路は両面カーブの確認の大事な地点である。
双方向ともゆっくり進むのだが、喜茂別側から曲がってきた車の乗り手は左ハンドルの車を昔風に左肩をドアに傾けて手をハンドルに斜め1本で斜め掛けしている。はにかんで、僅かに笑みがあり、もともと色白なのであろう、薄らと赤みがさしている。昨年10月3日他界した中川昭一。弔問の客は『顔が真っ黒で、、』と語っていた。

処刑されるべきものが生き、死んだはずのものが
眼の前に現れる。

しかも、公然と現れるのが手法。

私だけではなく多くの人が遭遇しているはずだ。

http://twitter.com/nakagawashoichi

生きるべきものは生還させねばならない!