始めは恵庭商工会議所の特産品開発から

東三郎、、、、東先生と始めてお逢いしたのは、仕事での恵庭商工会議所の特産品開発だった。10年程前だろうか?
先生は70歳。元気ハツラツ、こんなに明晰で行動する70歳には、逢ったことがなく、現役の大学教授の堅苦しさ、偏狭さから自在で軽やか、それでかつ弟子を廻りに置かず、素人という難物と相対している。当時は恵庭のガラスのピラミットに森林空間研究所があった。カミネッコンにはコンクリートを詰めていた。半信半疑であれこれ考える。自宅の車庫で子どもたちも一諸に100個のカミネッコンを作ってみる。コンクリートを詰めてみる。先生は,種から育てる森づくりの他に、自培で育つ山引き苗の論文も書いていた。私はこの論文から、「森を育てる山引き苗の追試を試みたい」と札幌営林署に申請をだした。森林官の案内で、当別町茂平沢に入った。案内されたのはトドマツ林だった。人工林はなかなか自培しないのだそうだ。それでも、道路沿いの斜面に小さなトドマツが並んでいる。うねうねしたトドマツを「これはどのくらいですか?」と聞いてみる。「10年位ですね」カミネッコンには大き過ぎるかな〜。出来るだけ小さいものを選んで、家まで急ぐ。やはり、何本かしか、入らなかった。大きな物は地植えした。「自培で育つ山引き苗」活着します。ただ、カミネッコンで使うのであれば、種からの方がいいかなあと。「茂平沢の山引き苗、今追試しています。」と言うと「男は鵜呑みにする、女はやってみる。」と先生に笑われる。カミネッコンには、コンクリートから濡らした新聞、そして今はダンボールを詰めている。