でも、あたたか。





久しぶりに雪になった。でもあたたかなので、
融けるのではないだろうか。

ひょんなことから、ヤフオクで着物を買った。黒着物86枚というのだ。
積み上げられた黒の着物は微妙に染め色が違う。全てが喪服なのかと尋ねてみると、
母たちが、入学式、卒業式に着た羽織や絵羽織それに喪服だった。
すぐ着るあてのないものだったが、絹の染め色の美しさに惹かれた。

届いた黒着物たちはみごとなものだった。
今の自動車産業のように、かっての繊維産業は裾野の広いものだったのだろう。
手作業で多くの場面がこなされるため、創意工夫も反映され易く、作り手の思いを載せ
芸術と工芸の間を揺れている。

絽の男もの喪服などは、こんな着物を着こなせる人はもういないのではないかと思われた。
肌着、長襦袢、着物、帯、帯締め、羽織、道行き、また組み合わせによって、まったく違う
表情になるし、身につける側の個性も現すことができる。

着物と離れた暮らしぶりの中で、着物の作法も薄れて来ている。
これを生かして、洋服のような気ままさを取り入れて、さくっと着ることにする。

思えば、ヨサコイもパンツに羽織だった。人々に受け入れられた理由は、羽織の持つ簡便さと
黒の羽織は準礼装になる格式にあったかなとか勝手に我田引水。

農協に買い物にいくのに羽織ってみた。
いい感じです。何より柔か、この手触りも1点1点違う。

母たちは1枚の着物を洗い張りし、染め直し、年齢に沿うように2度3度と手を掛けてきた。
そうして、50年100年と保つのが絹、やままゆたちのちからなのだから。

感謝しつつ、生かし方を考える。

時間が戻ってくるとはこういうことだと、、、