シーニックバイウェイ


北海道発の事業として、ヒットした物とモクされているが、成果は得られていない。
この事業化一年半前に、デックの原さんからヒアリングの依頼が同僚にあった。
私も同席したが、他には開発のビデオ媒体制作者などそれなりに仕事で関わる4名程だった。


当時道新紙上で開発関連事業について、いわば叩かれていた。
担当者は困惑を隠さず、どんなことでもいい感じることを話して欲しいという事だった。
しかし、仕事で関わる男たちがなにかを言えるはずもない。


困惑ぶりに少しばかり同情し、私は道は旧石器の時代から必要で必須の物だと。
白滝とオホーツクを結ぶ道を石原の明瞭な川だったと想定した。
私たちの暮らしを豊かにする交易の道。綿々と続いてきた必須の道だと。


また、北海道に限れば、なぜ白糠釧路間の国道の拡幅ができないのか?
大型トラックがフェリーの時間をにらんで走るなか一般車の走行は不安が付きまとう。
拡幅が充分できる原野のような両側にもかかわらず。
高規格道路の策定案が動いて自然運動家らとの話あいも進んでいるとのことだったが、
2車線にする事でコストも課題も解決できる案件も高規格道路ありきで動かない。


もう一つ付け加えたのが、
私には時間があればちょっと遠道でも通りたい道があることだった。
当時石狩市に住んでいたので生活圏は札幌であったが、行きは屯田の道ゆったりした落ち着いた道。
石狩街道沿いのポプラもいい。真っ白に綿毛を飛ばす時期も葉を落とすまでも。
帰りは石狩街道から屯田の防風林を抜ける。この防風林は人の手が入って都会の緑地の様相だが100年の森の風格を
残している。雨が降り緑ます頃、雪が舞い林が雪の動きをみごとに見せる頃、季節の移ろいと楽しみをもたらす木々と
過ごす時間。この道を通り抜ける喜び。
札幌から石狩に入ると安春川。明治の石狩川と結ぶ運河だが大河石狩川の影響下にあって川霧が美しい。
近くの防風林越しの夕日もまた。石狩に抜ける夕日に映える緑のスクリーンのようだ。


十勝の防風林。黒土のみずみずしい春起こしの頃。
北海道のどこをとっても道の傍には美しい風景と暮らしがある。

当時の大臣は日本語にならないかといったとも聞くが、


私はいま喜茂別で暮らすが雪解け後、ゴミ拾いと剥がれたアスファルトの掃除をした。
できることは自分でする。


いまのシーニックは防風林ではなく防風柵という工作物、公共事業になっている。
昔の人の知恵に学びたい。
ちいさな苗木は5年もすればしっかりする。ここが風が通ると、ここからは羊蹄を見たいと。