迷い道/紫香楽宮


高速から降り大阪から名古屋行きの予定だったのだが、なにしろ大阪の標識が不案内。諦めて大津行きに乗り名古屋を目指すことにした。目指すは大津ではないのであちこち転じつつ京都府京田辺で広大なキャンパスに出会う。その真新しいキャンパスには1万人もの人が集う同志社大学だった。


山間をゆくと茶畑がでた。水俣の石飛でみた茶畑と同じようだったが、送電線の多さには驚いた。
ここは日本の中核工業地区<阪神工業地帯中京工業地帯>に隣接しているのだから。



迷い路相まって、、、、紫香楽宮にいでぬ。



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甲賀市教育委員会webサイト http://www.geocities.jp/tenpyounomiyako/index.html
によると


聖武天皇はこの離宮で<天平15(743)年10月に天皇紫香楽宮で「大仏造顕の詔」を発し、甲賀寺の建設と大仏造りに着手します。>




国史紫香楽宮跡/甲賀




国史紫香楽宮跡/甲賀




国史紫香楽宮跡/甲賀




国史紫香楽宮跡/甲賀




国史紫香楽宮跡/甲賀




ここに立ってみると明日香よりは急峻ではなく平地の拡りもあった。しかし、明日香同様時代が要請する地の利には共通のものがあると思わずにはいられない立地だった。

この国史紫香楽宮跡には途中に水道が設置されていた。どのような目的かは解らないが飲んでみると『おいしい!』水質も選定基準だったのではないかと思う程だった。

この地に立つことははるか1250年前奈良時代中頃だけでなくここに至る2000年ほどの時間を俯瞰してあまりあるものがあった。