武井先生のお宅に夜伺う。

特別講義の内容について、伺う。既にフレームができ、国木田独歩の愛と自由に関する視点と稲村道三郎の夢と挫折。

倶地安郷土史研究会では安倍比羅夫についてまとめる予定がなかなか進まないとか。
私はこの頃、後方羊蹄をシリベシと読んだ新井白石の説に異説を抱いている。
後方返り点羊蹄ではないかと。富士(山)の名前の一説にトリカブトの根フシがある。羊蹄=シは、牧野によればギシギシ。
ギシギシはいんきん、たむしに効く。現代の抗生物質に負けない薬効がある。古代の人にとっても見近でやっかいなこ
の皮膚病に薬効があることは重要だったはずだ。喜茂別の私の家の廻りにもたくさんある。松浦武四郎尻別川を見下ろせるチャシのような丸山に、比羅夫を祀るほこらを作っている。
今は場所が裏側になって、比羅夫神社になっている。
比羅夫伝説の検証に課題となっているのが、それにあたる遺跡の存在だという。『羊蹄の後方に政所をおく』と解すれば
大和政権に繋がる遺跡は江別市後藤遺跡である。東北地方にも点在する円墳が、いくつもこの後藤遺跡にある。須恵器や
さわらび刀もでていたと思う。私は『新篠津村史』の調査を担当した頃、研究者にこの後藤遺跡の人々について尋ねたこ
とがあった。「円墳、副葬品から本州のひとが来ていたと考えられるが、まだ誰も書いていませんね。」と。新篠津の
地名に弁財落ちがある。弁財船がここまで登る水深の時期があったと思われる。川の道から、北海道の中心地を想定した
のが江別であった、明治初期の人の感覚も、古代の感覚に通じるのではないか?当初は札幌ではなく江別案であった。
文献考証をしていない楽しみとしての異説である。







http://d.hatena.ne.jp/kokoro2324/tools