被災地は真っ暗。その中で昼夜を問わず日本製紙 石巻工場は操業していた。


松島から石巻に入ったのは夜中だった。
被災地は真っ暗なにもない。ここだという事だけがわかる。渦のようにただ中にいる。
真っ暗な中にごうごうと煙を吐き建物の中から光が見える。そこだけが巨大な生き物のように
轟々と猛然と動いていた。写真は撮れなかった。何度か工場のまわりを廻る。その夜私は被災地の暗闇のなかで仮眠を取った。早朝もう一度工場の廻りを廻る。光が見えていたのは壁が壊れているためだった。日本製紙 石巻工場だった。4月当時被災地の瓦礫を広域で処理することが懸案になっていた。だが、多くの被災地では瓦礫は一定の処理方法で処理され被災地は更地のようになっていた。何故壁が壊れたまま操業しているのかと尋ねてみると、このままそこで操業できるのかも決まっていないのだとか。なんということか!
日本製紙 石巻工場は新聞用紙を生産しているため懸命に生産しているのだと地元の方は話された。
http://www.np-g.com/about/factory_npi_ishinomaki.html




2012.4.25/石巻日本製紙


2012.4.25/石巻日本製紙周辺


2012.4.25/石巻日本製紙周辺


2012.4.25/石巻日本製紙

ここで3000人もの方が亡くなった。



最後に南三陸町の様子です。役場庁舎前には幾人もの方が訪れ祈りの時を過ごされた。



4/26/南三陸町庁舎


4/26/南三陸町庁舎